ジュネーブを出てから、短期間に何だか色々と立て続けに起こり、
ハンガリーで就職という結果になりました。
ジュネーブ出発
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バルセロナ再上陸、友人と会い、ノスタルジック観光
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トランジットで、シンガポールに入国し、17時間観光
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東京に帰国
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この先どうしたもんか決めかねる
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某県での太陽光発電所の建設の為に来日しているスペイン人たちに出会う。
2年位の通訳兼アシスタントを探していると知り、飲み屋で立候補する
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Madridの本社からCVにOKが出て、オファーをもらう。
◎に2年なら某県に行っていいよと許可をもらったので、
2年仕事してスイスへ戻ろうと考えるも、心に不安が残る
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色々と考え、話し、◎と経済的な理由+αにより、円満お別れ
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スイスに行かないなら、短期の仕事はしたくないと、
スペイン人に断りを入れつつも、日雇いで通訳をして,
太陽光発電について少しだけ知る
某県の権力者がどういう人達なのか少しだけ知る(筋さえ通せば陽気なおっさん)
日本人は接待で男性をキャバクラへ誘う実態を目撃する
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更にこの先どうしたもんかと悩む
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履歴書の内容的に日本で就職活動すると心をへし折られそうと思い、
とりあえずシンガポールの日系企業で就活を開始
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シンガポールでも日系企業なので、転職回数の多さと、
一個の会社での勤続年数の少なさを理由に難色を示される
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へこむ。落ち込む。これはマズイと思って枕を涙で濡らす
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マレーシアの方が戸口が広いという情報を目にする
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気になるけど、行ったことない東南アジアへの移住を即決できず
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だったら行って見て来ようと数日先のフライトチケットを購入
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出発前に、いつも行ってる美容院に行き、
「それでいいんですか?」とサラッと言われる。
(担当さんは私がヨーロッパが好きで、ずっと住みたかったのを知っている)
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その言葉が気になるも、可能性としては、ドイツのギリホリで、
大至急ドイツ語を勉強して就活する位しかないしなぁ…と、
ドイツの求人やら生活のイロハを検索しつつ、
心ではそれは何かが違う気がしている
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ドイツの求人に紛れて「東欧 ビザ手配可」の求人を目にする
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一応、条件はかすってるし、応募するのはタダだと思って履歴書送付
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求人出してたイギリスのエージェントさんから電話があり、
場所はハンガリーであることを知る。
電話片手に仕事内容を聞いている間に、反対の手でハンガリーの治安だけ
ネットでチェック。
危なくないならヨーロッパだし想像つくからいいや。とそのまま応募。
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すぐに面接の連絡が来る。しかもマレーシアに出発する日の面接。
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夜19:00からSkype面接をし、20:15に家を出て羽田空港へ。
経歴を細かく突っ込まれたし、長期滞在出来る人がいいと言っていたので、
Job Hopper前科持ちの私は無理かもと思いつつ、
マレーシアで気分転換して、ダメだったら次だ次!と思う。
返事は1-2週間後とのこと。
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クアラルンプール到着
飛行機の中で、面接の時に肝心の残業時間と保険について
聞かなかったことに気付き、ホテル着いて速攻でエージェントさんに
確認依頼のメールをする
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ノープランだったけど、クアラルンプールで知り合った人たちと
意外と楽しく過ごす。でも移住はしたくないなと思う
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面接の2日後に、まだ残業時間の返事すら来てないのに、
メールでオファーをもらう。条件は免許をATからMTにすることだそう
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基本的にはオファーは受けたいが、前職の14時間勤務のトラウマから、
残業時間の確認なしには受けられないとメールで言う
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KL4泊後、夜中に東京に戻り、自宅に着いてから
エージェントさんと深夜のSkype。
残業は基本なしということで、オファーを受ける
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久々の自動車教習所に通いつつ、
絶対にハンガリーでエンストする自信がつく
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今更シンガポールの会社から、ご縁がなかったとお知らせを受け取る
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今に至る。
今までヨーロッパに住みたいと言い続けて来たものの、
じゃあどこの国で何をしたいかっていうところが、中々自分でも分からなくて、
色々行ってみたり、日本で仕事しようとしてみたり。
それでも何だかしっくり来る居場所がない中、
◎と出会ってスイスに住んでみて、とっても居心地が良かったし、
住めたらいいなと思ったし、そういう話になってたけど、
自分のビジネスを始めたばかりの◎に、
「将来スイスで仕事バリバリ出来ると言い切れない私」
という荷物を背負わせるということが、
何だか消化出来なかったし、疑問と不安が大きくて、
一歩踏み出すことは出来なかった。
結局私は、猜疑心が強いから自分の力である程度立っていないと、
全然安心できないし、でも逆に一度人に寄っかかったら、
どんどん怠け者になってしまうんだろうな
ってことも、よく分かった。
今までハンガリーに住むなんて考えたこともなかったし、行ったことないし、
2人しかハンガリー人に会ったことないし、
グーラッシュとドナウ川しか知らなかったけど、
今、ある程度ちゃんとした会社で、自分で仕事をしながら、
ビザの期限が切れた後の生活を心配せずにヨーロッパに住めるという将来が
目の前にやって来て、今までで一番しっくりきている気がする。
両親に対しては、散々お世話になってきて、
恩返しする前に遠くに行ってしまうこと、申し訳なく思うけど、
同時に、お世話になりながら色々試行錯誤して来たことが、
やっと形になったことに、恩を無駄にすることにならなくて良かったとも思う。
20歳位の頃、バイト先のイタリアンのシェフの人生が素敵で、
「シェフの人生が羨ましくてしょうがない」と言ったら、
「そんなん自分の人生頑張ってたら羨ましくなくなんねん」と言われたのが
心にずっと残ってて、人のこと羨ましいと思うたびに、
「シェフはああ言ってたけど、ちっとも羨ましくなくならないよ」
と思ってたけど、
今、当時のシェフの年齢+1歳になって、やっと言われたことが分かった。
頑張って自分の居場所を決めたからには、後はそこで一生懸命に頑張るだけ。
そんな訳で2015年、ハンガリーのブダペストに移住します。