Sunday 2 September 2018

ヨーロッパピクニック計画の公園。


恥ずかしい話ながら、
私はハンガリーに来るまで
「ヨーロッパピクニック計画」を知らなかった。

(詳しくはこちら↓↓↓)

チャーチルの言う「鉄のカーテン」に最初に穴があいた場所で行われ、
ベルリンの壁崩壊のきっかけを与えた真面目な出来事。

と言うのを知らないものだから、
何かのWikipediaを読んでいた時に
おチャラけた最近のイベントの話だと思ってリンクを開き、
ほー、そうだったのか。と感心し、
ピクニックが実際に行われたという場所が
メモリアル公園としてオーストリアとハンガリー国境の場所に残っている
と言うからには行ってみようではないか、と言う流れになった。(自分の中で)

それが、既に遠い昔の2016年12月の話。
いつか書こう、書こうと思って後回しにしてきたのに、
部屋の大掃除しよう、しようと思って
2週間も後回しにしている大掃除をまた後回しにする
このタイミングで何故か書く気になると言う。

後回しにしていることに手をつけるには
新たに後回しにすることを見つければいいのかもしれない。
と思った今日この頃。

さて、行ってみようではないか、と言ったものの
鉄のカーテンに穴を開ける様な場所なのだから
当然アクセスの悪い場所にある。

こんな感じの場所感↓↓↓
(クリックしたら地図が大きく見える。はず。)


まるでフランスに食い込むジュネーブさながらに
オーストリアに食い込んでいるSopronという場所は、
かつてオーストリアに併合されるか、ハンガリーに残るかの選択を迫られた際
ハンガリーに残ることを決めたそうで、
ハンガリーで最も忠誠な県と言われているそう。

確かにこの見事な食い込みっぷりは
カーテンに穴を開けたくなるのも納得。

と言うことで、
友達を連れて車でブラチスラバの
クリスマスマーケットへ行くことになった時、
帰りはそのままオーストリアに入って、
ピクニックのあった国境からハンガリーに入って
公園に行ってみることにした。


こちらが国境をハンガリー側から撮ったところ。
真ん中に写っているのはオーストリア側の国境管理の人がいる小屋。

ハンガリーからオーストリアに入る時は、
写真に写っている車の様に、簡単に一時停止して
管理人と目を合わせつつそのまま通過。

オーストリアからハンガリーに入る時は、
この小屋の後ろの道を通って国境通過。

きっとこの小屋辺りに東ドイツ市民を乗せる用の
西ドイツ行きのバスが停まっていたのでは、と思われ。

↑の写真に写っている道路の右側にはドアのモニュメント


左側には実際のフェンスが残っている。





要はこれが鉄のカーテンの一部だったってことだ。
そしてこのフェンスの後ろ(ハンガリー側)が
ピクニックの開催地であり、メモリアル公園となっている場所。




一応↓↓↓の案内板があって、
どこにあるのが何ですよ、と書かれている。



記念碑↓



ピクニックが行われたベンチ↓



↑ベンチの並んでる横には
各国から贈られた植木があった。
日本からのもあるっぽかったけど、
どれかは分からず。

その他、ここでこんな事があったんですよ、という
説明ボードが沢山立っていた。
(以下、ボードの内容は読めないので勝手な解釈です)

ピクニック開催のチラシ↓


ピクニックの様子↓




越境する東ドイツの人々↓




それまでは、この様に越境していましたの説明↓


メルケルも来たよ、の図↓



公園と言っても元々は何も無い所なので
周りには本当に何もなく↓




車は国境を越える道の反対側に停めました。
道の反対側はこんな感じ↓



1989年ということは、私は5歳9ヶ月の時。
 自分がノホホンと平和な日本で
親を心配させてやろうと企み、
初めて家出した記憶があるのが3-4歳の時だったので
あの頃にここではこんな事があったのか。
と考えると、とても変な感じがした。

そして職場で毎日その働きっぷりに
逆に感心するわ〜と思ってしまう4〜6歳上の同僚たちは
小学生か中学入学の頃までこんな状態の国で育ったのだから、
その働き方でもしょうがないのかもな。
と思えた訪問になった。

とは言っても頭でわかっていることに
心がついて行くのは難しく
元社会主義っぽい、ぬるま湯感と歪み感に
毎日沸々と沸き上がる怒りを
グッと堪えて決して口には出さないという
ウップンが溜まっているのだけど。

それにしてもこのwikipediaの記事に書いてある
ハンガリーは最初に社会主義を脱して西から援助を受けようと目論んでいた話と、
オーストリア人旅行者たちが、国境の様子を見て大笑いしていた話が
それぞれの国民性をよく表していて
うまく書けてるなぁと密かに感心している。

と話がダラダラと越境したところで
ピクニック公園の話は
おしまい。