Tuesday, 19 December 2017

気分はイラン人


リゾットを作る時に、
生米を炒めるということがどうしても上手く出来ず
毎回、

1) 米がフライパンにくっ付き始めて焦って水をたくさん入れる
2) 米が水を吸って膨張し、フライパンから溢れ出る
3) 調理中のフライパンが3個位に増える
4) 結局全部焦げ付いてしまう

という不器用な失敗をしている。

今回も3)まで見事に失敗した後、
一つだけテフロン加工のフライパンだったので
割と上手く出来たリゾットのフライパンがあった。

やっぱり小さいけど、
焦げないフライパンじゃないとダメなんだな。
でもイタリアではテフロン加工のフライパンが無かった時代から
リゾットを食べているはずだから
どんな器具でも美味しく出来るやり方がきっとあるんだろう。
でも私にそれは分からないから、
誰かにリゾットの作り方を教えてもらうまで
リゾットはもう作らないぞ。

と考えながら気がついた。

↑↑↑を考えている間ずっと、
頭の中で「テフロン加工」のことを
「テヘラン加工」と考えていたことに。

イラン人か。
っていう、クダラナイ話。








Monday, 18 December 2017

KLM オランダ航空で行くドイツ出張3日間の旅。




ということで、Look JTB的な感じで、
KLMのアムステルダム経由でドイツはBremenに出張に行った。
私の部署的にも私のポジションにも出張は滅多になくて、
行くとしても出張者のアテンドでスロバキアに車で行く程度。
問題が継続的に発生すると、稀に他の出張がある。
前回もドイツで問題発生して出張者について行って、フランクフルト。
今回もドイツで問題発生して上司について行って、ブレーメン。

ハンガリーに来るまでドイツなんて行ったことなかったのに、
2年前に初ドイツでフランクフルト行った直後にフランクフルト出張になり、
初ドイツで友達に会いにカールスルーエ行ったのに
今年の夏その友人の結婚式でまたカールスルーエ行くことになり、
今回のブレーメン出張。
あんまりドイツに興味ないのに自分の意思に反して4回目。

贅沢にも湯船のあるホテルに泊まれた。



贅沢にも広いキッチン付きのとある会社を訪問した。


贅沢にもブレーメンの音楽隊の像も見られた。


贅沢にもブレーメンのクリスマスマーケットも見られた。




贅沢にも美味しいビール、ワイン、かぼちゃのスープ、
マッシュポテトのモチモチボール入り煮込みをご馳走になった。



そして最後に、取引先の営業さんが一人一つ、
マーケットで↓↓↓をプレゼントしてくれた。


でも、6人いたのに、誰一人として、
これを食べるのか、飾るだけのか、
よく分からない。
とりあえず持って帰るけど、どうしよう。
というオチだった。
(美味しそうな香りはするものの、
普通のクッキーにしては異様に長い
賞味期限的な日付が裏に書いてある)

仕事と関係ない写真ばかりだけど、
仕事ばっかりで全然観光出来なかった。
だからブレーメンは再度訪れるべき街なのか否か
サッパリ分からず帰ってきた。

春にスペイン行った時もたまたまKLMだったので
今年は2回アムステルダムに空港だけ行ったのだけど、
結構色んな国の知り合いとかいる割に、
オランダ人の知り合いが一人もいないことに気づき
ドイツより気になる存在になった。

飛行機で、背が高く、割と顔が赤い人たちが
足とか腕とか長すぎて
みんなが縮こまって座っている面白い光景だった。
オランダ人ってどこにいるんだろう。
未知すぎて気になる。

という感想の出張だった。
という毎度ながら全然脈絡のない文になった。




Monday, 25 September 2017

日本人男性の「間」。


この間ウィーンに電車で行った帰り、
駅のカフェで時間を潰していた時のこと。
聞き馴染みのある「偽R」を多用した英語が聞こえてきて、
店員に何度か聞き返されてた後、
二つ先のテーブルにアジア人の青年が座った。

どうやらスイーツ男子 + クチャ男くんの様で、
クチャクチャ音を立てながら、
「フンフン、こっちもイケる。これも!」と
聞こえてきそうな食べっぷりでケーキを2個
同時に瞬時に完食していた。

この「偽R」、勝手な見解だと、
「私英語話せます」ってプライドありそうな感じなんだけど
割と通じない英語になっちゃっている人に多い
日本人特有の喉の使い方から成る
RになりきってないRだと思っている。
しかもこれを使うのは、割と男性に多いと思っている。
本当はRが出てこない言葉でも
取り敢えず日本語よりも、まろやかな音にしとけば、
それっぽいでしょ。みたいな。
(私も他人のことを言える様な英語は話さないけど
その分過度なプライドも無いつもり。。)

結構女の人って間違えを気にしなかったり
表情とか他のことでも伝えようとするからなのか
カタカナ英語しか出来なくとも、
バリバリのカタカナ英語でシンプルに伝えるので、
結構会話が成り立っていることが多い気がする。

そんな、恐らく日本人の青年の「偽R」たっぷりの
やり取りを聞きながら、思い出したことがあった。

私はスペインのサラマンカで7ヶ月スペイン語を学んだ後
2ヶ月だけバルセロナの別のスペイン語学校へ通っていた。
バルセロナに移った頃には既にB2の試験勉強も終えていて、
試験は受けてないけどB2終了前後のレベルという中途半端なレベルだった。

「あなた丁度B2とC1の間な感じだけど、どうする〜?
B2はもうやったかもしれないけど、C1より大事な文法が沢山あるし
C1って難しい語彙とか中心だからB2もう一回やってもいいと思うけど。」
と言われ迷った挙句、
どうせバルセロナは勉強というより
住んでみたかっただけのオマケだったので、
記念にC1を受けてみることにした。

C1と言っても、母語がスペイン語に近い
フランス人、スイス人、ブラジル人のマダム達しかいなくて、
母語を直訳して適当に喋ってるけど通じてる。
みたいな割とレベルが低い感じで、
確かにB2のクラスにいたロシア人とかの方がレベルが高い感じだった。

授業も「眼科」とかの「目の医者」って言えばやり過ごせる様な語彙や、
そういう状況ってあんまり無いですよねっていう時に使う文法とかで
確かにB2をもう一度おさらいする方がスキルアップになりそう。
という感じだった。

授業もそんなに面白くないし
クラスメイトは家庭があるので時間が合わないし、
そもそも性格がきつそうで合わなそうだった。
ということで参加した課外授業で
とあるA2のクラスの子たちと仲良くなった。

このA2のクラスの子たちは、
C1のマダム達より年齢が近く、その後よく皆でランチをしていた。
ある日、その中のドイツ人の女の子から質問があった。
それは同じA2のクラスにいた日本人の男の子について。
彼は、「ザ・良い青年」という感じで
大人しそうな感じだった。
でも建築を学びに来ていて、芯は熱い感じで
「サグラダファミリアの主任彫刻家として有名な外尾悦郎さんに会いに
サグラダファミリアへ行ったらタダで入れてもらって
裏を見せてもらった。
でも外尾さんは結構鼻高そうな感じだった」
みたいなことを目を輝かせて話してくれたことがあった。

そのドイツ人の女の子が言うには、
先生やクラスメイトに何か質問された後に、
この男の子が何か言うまでに必ず「間」があるのだそう。
この「間」は一体どういう意味なの??
と興味津々の真顔で聞かれた。
その質問を隣で聞いていた中国人、ブラジル人、アフリカ人の
女の子たちも加勢してきて
「そうそう、毎回そうなの!あれは一体どういう意味なの??」
と聞いてきた。

現場を見ていないから推測の域だけど
その男の子の感じからして
単に答えを考えてる「間」なんだろうと思い
「日本人は話す前に考えるから、考えてるんじゃない?」
と説明をした。

そのドイツ人はあまり納得しておらず
「でもあなたと話す時に、あなたには「間」がないじゃない?」
と言っていた。

そう言われてみると、
自分だったらそこまで不自然な「間」が出来る前に
分からないとか考えてるとか相手に通じる様な
表情なり音なりを発していそう。
でも何かあの大人しそうな青年がクラスで
分からないけど間違えたくない時に
姿勢も表情も変えずに「間」を作っているのが
容易に想像出来た。

私の会社にハンガリー人に対して文化の違いを理解する為の
「日本人とは」みたいな教材がある。
これはハンガリーの大学で日本文化を教えている
社会学の先生が作成したもので、
(日本人に対して「ハンガリー人とは」という逆バージョンもある)

その中に、
「会議中に腕を組んで目をつぶる日本人の中年男性が多く見られるが、
あれは居眠りをしているのではなく、会議の内容に集中して考えているのだ」
という説明があるらしい。
すごい笑える。何その下らなさと真面目さのバランス。
でも考えてみれば、あれも一種の「間」の取り方の違いだよな。と思った。

確かにおじさん達は何で目をつぶるんだろう。
目を開けていたら何で考えられないんだろう。
そして確かにそういう女性って見たことない気がする。

ウィーンからブダペストの東駅に着いて電車を降りると
例の日本人の青年がホームの斜め前を歩いていた。
「うわぁー、なんてボロいんだろう」って感動してるのかなぁ。
と思える位、キラキラした目でキョロキョロしている
ちょっと挙動不審な彼を見て、
日本人男性って外国人にとって
日本人女性よりも遥かに不思議な存在なのかもなぁ
と考えてしまった。

私が外国人に文化の違いを感じる時、
感じ方にそんなに大きな男女差は無いけれど、
やっぱ日本は男女の差がはっきりしている文化なので
文化の違いの与え方にも
はっきりした差があるのかなぁと
勝手な思考を巡らせた鉄道の旅。








Sunday, 17 September 2017

東京ミッドタウン


…を彷彿とさせる、
ウィーン中央駅裏手の建物。


なんか懐かしい感。
六本木に見える。
どうでもいいけど。




Sunday, 10 September 2017

派手に事故って記事に載る。


昨日会社の前に病院へ行って貧血検査の為に採血をした。
その後、通ったことのない道を運転していたら、
わかりにくい道に出て、カーブを曲がろうとした瞬間、
思いっきり対向車に飛び出した形になって派手にぶつかってしまった。

一瞬ガンっと衝撃が走り、
次の瞬間、化学物質的な匂いの煙が出てきて息が出来ず
目の前を一生懸命手で振り払っているのに
何か得体の知れない物体で視界が開けず意味が分からなかった。
(後で考えればエアバッグだったけど)
10秒位後か分からないけど、
事故にあって、自分はまだ車にいるとハッキリ状況が分かったので
すぐ車から出なければ呼吸困難で死ぬ。
と思ってドアを開けて外へ転がり出る。

相手の車はエアバッグも出ておらず
おじさんも普通の感じで出てきた。
英語の分からない人だったので、
携帯を探すも、車の中でどこかに吹っ飛んで見当たらない。

私の車が路線バスの通る道を完全に塞いでしまったので、
先ずブダペスト交通局みたいな人が車でやって来た。
この人も英語が分からない人だったけど、
私の手の親指の付け根がプックリと腫れ上がっているのを指差して
何か聞いてきたので、どこか打ったか聞かれたのかと推測し
両脚の膝下を打って痛いとジェスチャーで伝える。

やっと携帯を見つけ出し、会社の人にヘルプを頼む。
相手のおじさんはものすごく冷静で
「君が悪いんだから、保険の紙に記入して欲しい。
警察を呼ぶ必要があるか分からないけど」
と言っているらしい。
「車が完全に壊れてどかせない様な状況なのだから、
警察を呼んでちゃんと手順を踏んで欲しい」
と伝えてもらい、おじさんが警察を呼ぶことに。

暫くして交通局の人が呼んだらしい救急車がやって来た。

私の車からは変な匂いの煙が暫く出ていて、
相手の車からは得体の知れない緑色の液体が漏れてきたので
消防車もやって来た。

あっという間に交通渋滞の列も出来上がっている。

私は救急車の中で軽く検診を受けた。
この人は少し英語が出来たけど
会社の人が電話をかけてきたので
この後どうしたらいいか等を聞くついでに
細かい部分を訳してもらった。
でもこの会社の人は新人の女の子で
私以上に声が興奮していて、
私が「一瞬のことだったからよく分からないけど」
と言ったのを記憶を失っている時間があると勘違いし
救急隊の人が「覚えてないなら頭を打った可能性があるから
病院へ連れて行く」と言った。
会社の人に、もう一度説明したけど、完全に興奮していて
私は頭を打って記憶を失くしていると勘違いしたままだったので
せっかくだから検査してもらうことにした。

その間警察も到着し、
飲酒運転の検査を受けて、身分証等を渡す。
「で、君この車どうするつもり?道を塞いで邪魔なんだけど」
と言われた。
それを私に聞いて、答えが出てくると思いますか?
と思ったけど、会社の人がトレーラーを呼んでくれると言ってくれたので
そういうことに。

私は救急車で病院に連れられて行く。
到着した病院は、何とも暗くてボロボロだった。
ストレッチャーに乗せられて
ここで待っていてと言われた場所には
警察に見守られながら、手錠をかけられたまま
ストレッチャーにうずくまって横になっているおじさんがいた。
天井の穴からは変な紐が垂れ下がっている。

連れて行かれた診察室にいた先生は
何故か若い美男美女ばかりだった。
そこで問診を受け、救急隊が私の鞄の所持品から
貴重品が何が入っていたかチェックし、サインさせられる。
(盗んでないよ。の書類と思われ)
いらないレシートとか入っていたので、恥ずかしい思いだった。
その後全身のX線とエコーを取り、ストレッチャーで
移動しているところへ会社の人がやって来た。

ここまで私は割と冷静というか、
頭が回っていないので現実として目に映らないというか
無感情だったけど、
知っている人の顔を見たらやっぱり涙が出た。
そしたら会社の人も涙ぐんでいた。

その後検査結果が出るまで
会社の人に見守られながらストレッチャーに寝かされていた。
その人曰く、この病院は事故専門の病院らしく
事故にあったら連れてこられる場所らしい。
言っている側から、クスリかお酒か分からないけど
奇声をあげているおじさんとか
独り言で嘆き悲しんでいるおばあさんがいた。

なんとも言えない異様な雰囲気に落ち着かないでいたら
会社の人が携帯を見せながら
「あなたフェイスブックの記事になったのよ!」
と笑いながら見せてきた。


救急車を呼んだ交通局の人が携帯で写真を撮っていたのは見たけど
それが記事になったらしい。
真ん中に小さく、途方に暮れている私が写っている。
後ろに写っているバスの道を完全に塞いでいたため
この線のバスは現在停まっているという記事。
その2時間後に、復旧しましたの記事も出ていた。
よく見かけるアレか。みたいな。

その後、先生がやって来て
特に異常は無いので、脚に出来たアザと腫れ部分を冷やして薬を塗るよう言われ
この後24時間以内に吐き気、眠気、頭痛が起きなければ大丈夫。とのこと。
会社の人に薬局に寄ってもらい、家まで送ってもらった。

24時間以上経った今、特に異常はなく、
脚のアザ&腫れが歩く度に痛むだけですんでいる。
(そもそも頭は打ってないはずだけど)

今冷静に振り返ってみると、
自分もそうだし、相手も無事で本当に良かった。
もしかすると来週警察へもっと細かい説明をする必要があるかもしれず、
保険がどこまで効くのかとか考えると恐ろしいけど、
自分も相手も生きてるだけで、良かった。

そしてこんな時にやっぱり家族や親友にすぐ来てもらえる環境ではなく
一人なんだな。と思ったり。
それでも全部手配してくれて、涙ぐんでくれる会社の人とか
良くなりますようにとメッセージをくれたチームの人達や
数少ない友達とか有り難いなと思ったり。

色々と考え深い週末を過ごし中の今日この頃。
安全と健康第一だな。






Tuesday, 8 August 2017

一年越しで手に入れた 2行のメッセージ


一年半位前から、プールに通っている。
会社の帰り道に車で寄るので
ブダペストの中心からは外れた場所にあるプール。

観光客はあまり来ないようで、
今まで自分以外のアジア人を見たことがない。
アジア人どころか、英語で会話している人も
イギリス訛りの英語を話す一人の男性を3回位見かけたのみ。
基本は夏でもハンガリーの地元民ばかり。

通い始めて初めての夏シーズンだった昨年の夏。
若くて細くて小さい黒髪の青年が、
このプールでバイトを始めた様子。

私が週に1-2回は必ず通っていたので
暫くした頃に私が荷物を預けて着替えに行く後ろ姿を見ながら
「XXXXX minden nap XXXX」
と横にいた別のバイトに言っていた。
(minden nap:毎日という意味)
パッと見たら、こっちを真顔でジーっと見ていたので
恐らく「あのアジア人、毎日来んな〜」とでも
言っていたんだろうと思われ。

その後もずっと真顔で無難に対応され続けること一年。
ある日から急に、窓口対応の最後に一瞬だけ
ニコッというよりニヤッと不自然な
作り笑顔を見せてくれるようになった。

あまりにもぎこちない笑顔なので、
からかわれているのか怪しいところで、
こっちも恐らく不自然な作り笑顔を返していた。
(若しくは私が笑顔だから無理やり返してくれ始めたのか?)

ある日、出口のセンサーの反応が悪く、
出られないでいたら、たまたまその青年が通りかかった。
あ、ちょっと青年くん!という感じで手を上げて合図したら
「What's proble〜m」と話せない英語で声をかけて
出してくれた。

その対応から何となく、
この人、1年経って、私の存在を認め始めたから
笑顔が出てきたんだな、と納得した。

昨日の午後のゲリラ豪雨+雷から、今日の午前中まで雨だったけど
会社を出る頃には止んでいたので今日もプールに行った。
(プールは夏場、屋外プールしかなくなる)

受付にあの青年がいて、
ハンガリー語で何かベラベラ言われる。
何か雨の影響で普段と違うんだろうなとは思ったものの
「わからない」と言うと、
真顔でパソコンに向かい始め、
真顔で無言の3分間放置される。
何かプリントアウトしたぞと思ったら、
わざわざネットで英語に訳した2行の文章が
真っ白い紙の上の方にポツンと印刷されていた。

「水泳用のプールは閉まっていて、ビーチプールしか開いていない」

Googleはハンガリー語をきれいな英語に訳さないはずなのに、
割ときれいな英語の文章が書いてあった。
恐らく一回自動翻訳した後にわざわざ手直ししたとか、
そんな感じ。
青年優しいじゃないか。
(自然環境的には完全にアウトな行動…笑)

青年の優しさにも感動したし、
ここまで来るのに一年もかかったのかということにも
別の意味で感動した。
私が留学生だったら、青年の笑顔を見る前に帰国しているぞ。

思い出の出来事になりそうだったので、
その紙を持って帰りたかったのに
青年は恥ずかしかったようで、
窓口越しに私の手から紙を取り上げてしまった。

私がハンガリー語を話さないのも理由の一つだろうけど
笑顔を引き出すのに一年かかるのかぁと
しみじみ思った。
そして1年経って受け入れてもらったら
こんなに優しいのか〜ともしみじみ思った。

もちろんこれは極端な例で、
会社とか、お店のハンガリー人とか最初から普通の人もいる。
でも普段から感じているハンガリー人の警戒心が
すごく現れている出来事だったなと思って心に残った。

こんなにジックリ時間をかけて
炭火焼の様に築き上げたプールの青年との関係。
これからも、お互い不自然な作り笑顔で熟成させていこうと思う。









Thursday, 3 August 2017

一時脱東まであと10日…


3週間の夏休みまであと10日の辛抱。
仕事日数で言うとあと7日。
ハンガリーの給料には大変きついけど
GeneveとVevey3週間のスイス旅。

ポツリと友達には会えるものの
毎日会えるわけじゃないし、
長期休みにヨーロッパを一人で旅すると
周りが幸せ家族/カップル/仲良し友達だらけ過ぎて
余計に独り身がしみる。。

という寂しさはあるものの、
スーパーで腐っていない玉ねぎの山を見られるだけでも
楽しみっていう
レベルの低い幸福感。

脱東まであと10日…
西だ、西。
ワクワクワクワクワクって一時間位
言い続けてられそうな程嬉しい。
嬉しいと言うか、助かった〜って思うんだろうな。
楽しみすぎる、
脱東。








Saturday, 29 July 2017

ウィーン Hietzing墓地







(このGruppeって言い方がツボです)








周辺の街並み。
季節柄、ちょっと共産臭が漂っていた。
(過敏に反応)

Friedhof Hietzing
Maxingstraße 15
1130 Wien

Tel. +43 (0)1 534 69 - 28220
Fax: +43 (0)1 534 69 - 28229







Mitsukoを探せ ④


お花屋さんで
長持ちする造花とフレッシュな生花とで
暫く迷い、やっぱり生花だな。
とレジへ行くと、
ムスッとしたおばさん。

これがハンガリーだと、
最初からムスッとしている人には、
そのままムスッと対応されるか、
もっと細かいお金で払えないわけ?
とため息ついて本気で叱られるか、
の結果になることが多い。

でもここはオーストリア。
ムスッとしてた割に
最後は普通に笑顔で見送ってくれた。

ということで、
無事お花をゲットしてお供え。。
…花瓶が無いけど、どうやって…?

イメージとしては
天空の城ラピュタでロボット兵が
お墓に白いお花を3本並べて置く感じか?

と思ってやってみたけど、
風の街ウィーンでは、
すぐに飛ばされてしまう。。
考えること数分、


蓋石を持ち上げる用の取っ手に引っ掛けることにした。
他人のお墓にこんなことしていいのだろうか。
と迷ったけど、他に方法が無く、
今度ウィーン行く時に
もう一度行って、そのままになっていたら
掃除してこよう。
近いって便利。
ということに決めて、
春先取り仕様のCoudenhove家をイメージしてみました。


光子さん、私も頑張ります。
とお祈りしてお別れ。
無事にお墓参り終了。

ということで、
一番シンプルな光子の見つけ方は、
TOR 3 (前述の地図だとTOR 2)から入ると、
真正面に小さい建物が見える。
↓↓↓

そのままガーッと直進して、
この真正面の建物に向かって左斜め前の
十字架の立っているお墓です。

ワーグナーもクリムトもすぐ近くなので
是非。









Mitsukoを探せ ③


結構歩き回ったけど
どちらかと言うとお金持ちではなさそうな
墓石のグループになってきた。
ここにはいなさそうな雰囲気。
念の為一番大きな入り口TOR 1へ戻る。
入り口両脇の建物に人の気配はなく、
お参りに来ている人も全然いない。

ふと入り口付近の掲示板が目に入り、
見たら有名人の場所が書いてあった。


あった!Coudenhove - Kalergi!!
念の為クリムトとワーグナーが一致しているか確認。
実際にお墓のあった場所の番号と一致していた。

ということで、
おそらく知人がグループ13を見間違えて
14と言ったらしかった。

グループ13に戻ってみると、
一度通り過ぎていた場所だったけど、
目立つ場所にあったので、すぐに見つかる。


この建物の左側の十字架の立っているお墓がCoudenhove家のもの。



大きくしないと見えないけど
一番下に
Maria Thekla 'Mitsu' Grafin Coudenhove
と書いてあって、その横に小さくAoyamaの記載がある。



光子が見つかった!

ということで、
正しくは、

光子:Gruppe 14* No.69 → Gruppe 13 No.69
クリムト:Gruppe 5  No.194
ワーグナー:Gruppe 13 No. 131

さて、手を合わせてご挨拶。
と思ったけど、
何も持って来なかったことに気づく。

何もお供えせずに、手を合わせるだけで
ご利益をもらうと言うのは
知り合いでもないのに失礼な気がしてきて、
墓地の道を挟んだ向かいにあった
お花屋さんへ戻ることにした。

しつこく④へ続く。。








Mitsukoを探せ ②



...
ということで、光子の墓参りへ。
と言っても、光子の眠っているHietzingという墓地は
ウィーンの中央墓地と違い、
そんなに有名ではない様子。
墓地の住所と行き方は分かったものの、
行ったらどれが光子のお墓かなんて分かるものなのか。。
と考え、色々事前に調べるも情報は無く。
分からないのでGrazに住むオーストリア人の知人に聞いた。

そしたらあっさりネットで見つけてくれて、
地図ゲット。


ついでに同じ墓地にいるクリムトとワーグナーの場所も調べてもらう。

光子:Gruppe 14* No.69
クリムト:Gruppe 5  No.194
ワーグナー:Gruppe 13 No. 131

まだまだ寒くて空が灰色の2月初旬のウィーンで
サクッと墓参り。
地図あるから楽勝でしょう。
と思ってバス到着。
上の地図で言うTOR 4の目の前に止まる。
でも入り口にはTOR 1と書いてある。

(TOR 1と写真に入っちゃったおばさん)

知人からはTOR 2か 3から入った方がいいと言われたので、
上の地図で言うTOR 3へ向かう。
でも入り口にはTOR 2と書いてある。
この地図大丈夫なのか?
と思いつつ、TOR 3から入って14グループへ向かう。

(Gruppe 14の看板)

グループ14に無事到着。
あれ。。いない。。
光子が14グループにいない。。
14グループの墓石を一生懸命全部見て回ったのに
光子がいない。。
寒いし、既にトイレ行きたいのに、
こんなにたくさんの墓石を片っ端から見るわけにもいかず、
でも光子に会いに来て
光子に会わずに帰るわけにはいかないし。。
と、近くのグループも探す。

そしたらすぐにワーグナーとクリムトが見つかった。

(遠くからでも目立つワーグナー)

(シンプルなクリムト)

でもやっぱり光子がいない。
みっちゃん、私トイレ行きたいんだけど、
どこにいるの。。
とグルグル探し回る羽目に。

③に続く。

Hietzingのリンク。

https://www.friedhoefewien.at/eportal2/ep/channelView.do/pageTypeId/75472/channelId/-54263

ドイツ語のみ。
(英語をクリックすると中央墓地のページにとんでしまう。。)

Friedhof Hietzing
Maxingstraße 15
1130 Wien

Tel. +43 (0)1 534 69 - 28220
Fax: +43 (0)1 534 69 - 28229









Thursday, 27 July 2017

Mitsukoを探せ ①


(amazonで買うのか、迷い中。。)

日本で初めて国際結婚**をした女性は、
明治時代にオーストリア=ハンガリー帝国の外交官であった、
ウィーン生まれのオーストリア人に嫁いだらしい。
ということを、何か調べていた時に読んだのが今年の1月。

**後々調べ直したら、「日本で」ではなく「東京で」で、
「初めて」というのも「初めて正式に届け出をした」ということで、
ちょっと勘違いしていたことが判明したけど。
確かに、そんなこと言ったら弥生時代の人も国際結婚だし。

外国で強烈なホームシックにかかりながらも
EU構想の先駆けになった、
一番最初のヨーロッパ統合の構想を提案することになる
Richard Coudenhove-Kalergiを途中まで育てて勘当した人。
その名も青山みっちゃん。
(Mitsuko Coudenhove-Kalergi / 青山 みつ)

現代のハンガリーですらピーピー言ってる私からすれば
何と強い女性だろう。
ウィーンのお墓に眠っているなんて、
近いんだから、会いに行って、
御利益、御利益、
と思って
2月の寒いウィーンへ会いに行くことにした。


行き方の詳細等は長くなるので②と③へ続く。。

光子の詳細はWikipediaのリンクへ続く。。
(書くのが面倒くさい)
↓↓↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/クーデンホーフ光子








Wednesday, 26 July 2017

なんか違う…


フランダースの犬を観て、
まるで暗いハンガリーの冬がやって来た様な
暗い気持ちになってしまった。
暗すぎる、この話。

と思ったら、こんなの見つけた。
フランダースの犬ハッピーエンド版。


なんか違う。
というか大分違う。
確かに暗すぎると思う気持ちは分かるけど、
ここまで変えてはダメな気が。。

そして日本の別バージョンも。


コメント見てるとこっちの方が原作に近いらしいけど、
やっぱり違和感。

こうなってくると、原作が本当はどういう感じなのか
物凄く気になっては来るものの、
読み終わった後の暗い気持ちを想像するだけで
今後もっと明るい国に住むことになった時に読まないと、
精神をやられそうなので
今はやめておこう。

やっぱり慣れ親しんだ版が一番いい。
いいと言っていいものか分からない位に
最高に暗いけど。







Monday, 24 July 2017

あらすじで…


ネットで何か調べものをすると、
そのページに出てくる他のことが気になりだして
いつも全然関係ないページにたどり着いて終わる。

こないだ、元々何を調べていたかすら忘れたけど、
「フランダースの犬」にたどり着いた。
最後が悲しいってことしか覚えてないので、
テレビで観てたのかすら疑問の、遠い記憶にあった名前。
あれって一体どういった話の流れで
悲しい結末を迎えるんだっけ。
という素朴な疑問から、ネットであらすじを読んだ。
ら、それだけで号泣。

最初の、「なんといい子なんだネロ。。」
というあらすじで号泣して、
最後の、「なんと不憫な運命なんだネロ。。」
というあらすじで号泣する。
あらすじだけで2回も泣かせるフランダースの犬。

観るしかない。


と思ったら意外と50話以上ある。
今33話目だけど、
もう何度も泣かされている。

アントワープ行かねば。

そして日本のアニメのクオリティにも感動。
影の使い方とか、
並木道とか。
子供向けなのに、
細かし。






Monday, 17 July 2017

ウィーンのスイス


用事があって3週連続で週末にウィーンへ行った。
ウィーンはいつでも行けるという意識が働き
割といつも同じ所をウロウロするだけで終わっている。

先週行かなければいけない所があって、
今まで行ったことの無いエリアに行く機会があった。
行きしなに、なんか可愛いカフェがあるな〜。と思い、
帰りに外から様子を伺ってみる。

と、入り口のドアの上に
スイスの国旗っぽい
赤いハートの真ん中に白い十字架の
飾りがついていた。

とは言っても、
ウィーンの州の紋章もこれ↓
(左は簡単バージョンだけど、右のよりよく使われている)


前Annecyに行った時に、
サヴォアの紋章をスイスの国旗だと思って、
何でフランスにスイスの国旗グッズが満載なんだろう。
と無知な勘違いをしたので、
また勘違い?と思ったけど、
ウィーンの紋章みたいに、白線が外枠に触れていなかった。
やっぱりこれはスイス国旗なのかな?と一人考える。

(ウィーンの紋章とサヴォアの紋章の方が瓜二つだなと今は思うけど)

(サヴォア版。違いは十字線の長さの割合と末端のとんがり?)

そんな話はさておき、
今、紋章ってドイツ語で何て言うのかな。
と思って調べたら「ワッペン」だった。
ワッペンって言われると、
幼稚園児のスモックについてるイメージなのに
紋章って言われると堅いな。

そんな話もさて置き、
そのカフェの中を更に覗くと
スイスの切り絵とか
Locarnoのポスターとかが貼ってあって、
やっぱりスイスなのか。
何故ウィーンに。
しかもスイスに特化したカフェって珍しい。

と思ってお茶することにした。
メニューも、
ジュネーブの朝食、チューリッヒの朝食、
ベルンの朝食等々。

時間がそんなに無かったので
朝食は諦めてチーズケーキとカフェラテを頂戴する。
お姉さんに、「なんでこの店スイス満載なの?」
と聞いたら
「オーナーシェフがスイス人だからだよ」
と返ってきた。

日本人だったら、
海外で和カフェをやるって
割と簡単に想像出来るけど、
スイス人が海外でスイスカフェっていうのは
中々珍しいような気がする。
しかも割と環境の似ている隣の国で。
(ホームページだとビストロって謳ってるけど。。)

残念ながらオーナーはいなかったけど、
次回は各都市の朝食に順番で挑戦してみようと思った。


「GUBLER & GUBLER Wien」
http://www.gublergubler.at








Saturday, 15 July 2017

ドイツ人とメルケルと私


私の会社のパートナー会社がドイツにある。
ということで、
ドイツ人のおじさん(と言っても一応マネージャー)と
毎日メールや電話をする。

私はドイツ語圏の人の英語が苦手で、
最初の頃はこのおじさんとの電話が大変だった。

新聞から、一番新聞っぽい言い回しを引っ張り出して並べた様な文章を、
胸を張って、腹式呼吸しながら、
話しているのではなく、主張している様な話し方。

反対に、
新聞から、一番庶民的な言葉を引っ張り出して並べた様な文章を、
擬音語満載にして、電話なのに身振り手振りを無意味に加えながら、
相手の想像力を期待する様な抽象的な話し方の私。

向こうも向こうで、私の英語が苦手なんだろうな。
と、ヒシヒシと感じていた。

ただ、それが2年も毎日続くと、
人間は慣れるもので、
最近割とドイツ語圏の人の英語が分かる様になった
と感じているし、
おじさんも私を分かってきたな、と実感している。

そんなこんなで、最近仕事で色んな問題があって、
毎日おじさんと沢山話し合わなければいけない状況。
にも関わらず、
また新たに大きな問題が発生した。
既にいっぱいいっぱいで、やっと少しひと段落と思ったのに
休む暇もなくこの状況。

正に笑うしかない状況で、
朝おじさんと電話で、お互い
「はっはっはっ、やってられないね。」と
笑いあった。

その後メールで、
「さっきの件、こういう風にアレンジして」
と送ったら、
「前も言った通り、G20のサミットがあるから、その影響で無理だよ」
と言われた。

笑うしかない状況だったので、
G20のことなんてすっかり忘れてて、
この状況でG20かい。という更に笑うしかない状況と、
途方に暮れた感じを伝えたくて、
メールの返信に、


↑このメルケルさんを貼り付けて送ったら…
…スルーされた…

ちょっとしつこかったかもだけど、
署名も文字って
「Moekel」
って送ったら
…スルーされた…

分かり合っていなかったのね、私たち。。というショック。。

「G20なんて忘れてたわ〜、このタイミングでG20かぁ。もうっ。」
って言ってるメルケルさんを想像しながら
私も同じことを思ったんだな。
って想像してくれたら絶対メール開けた瞬間に
「ププッ」って笑うと思ったのに。

所詮ハイコンテクストな人間は
ローコンテクストな国の人にジョークを言ってはいけないのか。。
こないだのバナナのジョークは笑ってたのに。
一応仕事中だから、真面目にメルケルさんを使ったジョークにしたのに。。

と、まだまだローコンテクストな国民との
コミュニケーション能力に磨きをかける必要性を感じた日だった。

ただ何となく、その後のメールや電話に
フレンドリーさが出てきた気がする。
メールの宛先に入っていた、
別のドイツ人女性も、
電話に出る時何となく前よりフレンドリーな気がする。

きっと面白いと思ったのに
忙しすぎてスルーしたのかな。
と、ポジティブに考えることにした。