Friday, 1 March 2019

無感情とヒマ。


(オレオにしか見えないグラナダのカテドラルの天井)



昨日の夕方、念願の脱ハンガリーだった。

そうは言っても最後は、辛かった4年間を思い出して
感慨深くこみ上げてくる感情に涙が出るものだと思っていたのに
辛いのはとっくに通り越していたからなのか
何にも感じなかった。

え、こんなに何にも感じないけど
良いのかな自分。
と思いながらも
本気で何にも感じなかった。

強いて言うならば
最後無感情のまま飛行機の外を眺めていたら
国会議事堂とドナウ川の斜め上を通過したので
家と鎖橋の景色が目に入り
「あ〜、もうあの橋渡らなくて良いんだ〜」と
口角が若干上がったって言う。

夜バルセロナで乗り換え1時間半の間に
スペインの空気感がジワジワと心の隙間にしみわたって
あ、何かが解けてゆくぞ。という感じがした。

夜グラナダに着き
未だほんのり肌寒いものの
カラッとしつつ柔らかい空気と
コロコロと耳に響くスペイン語の軽い響き。

あぁ〜、本気でハンガリー嫌いだったわ〜。
元の世界に帰って来たわ〜、私。
と、久々に肺の奥まで酸素が行き渡った感。

嫌いだったけど3年は我慢するのを目標に
最後はチェロを辞めたくないだけの理由で耐えた4年間。
何の未練も一切残さず、逆にスッキリ終わって良かったのかも。

ということで、
久々に遠くからでも香ってくる
香ばしいコーヒーの香りがする
熱々のカフェラテに感動しつつ
グラナダ初日。

既にテラスでビール気候になり始めた街を歩きながら
あれっ、3ヶ月も一人で旅行してたらヒマじゃない?
って今更思い始めた。

だからと言って早々に帰ろうとは思わないけど
折角なので有意義な3ヶ月になるように
何かしら考えないといけないな。
と思ったら割と周遊って面倒臭いので
自分に合った旅の仕方では無いんだなぁ。
と、バックパッカーの人たちを尊敬し始めた
そんな旅の始まり。








Friday, 22 February 2019

束の間の一息と旅の計画


怒涛の2月。

物を沢山送って、売り続け、旅行の計画立てて、
ビザや保険のこと調べて
大使館に連絡して
合間に友達に会って、普通に仕事に行って、
中旬まで出来る限りチェロを毎日練習して、
週に1回プールに行って、
チェロレッスンへ2回週末に行って、
最後のウィーンも満喫しつつ
ウィーン ロスに耐えながら
一応パスポートにスタンプもらいに日帰りでザグレブに行って
大家さんが明日からブダペストにいないと言うので
来週水曜にフラットを出るのに
一週間前の今日フラットのチェックをすると言われて
無理やり簡単な掃除して何とか体裁を整えて迎えた今日。

事前に「清掃費用とか請求する?」と聞いたら
「もちろん!」と言われていたので
最後は掃除まで手が回らず
膨大な清掃/修繕費用だったらどうしようと
ストレスでお腹を壊し、毎日5時間くらいしか寝られず、
とすごいパニックだったのに
「ここ汚しちゃった」とか「ここぶつけちゃった」とか
正直に言いながらフラットを見せて回ったら
「That's ok~~, No problem, that's ok~, haha~」
と言われて終わった。

結局清掃費用のHUF 20,000(8千円くらい)だけで終了。
家賃2ヶ月分支払っていたデポジットも事前に
最後2ヶ月分の家賃と相殺してもらっていたので
5分であっさり終わった。

相場が全く分からないので高いのかもしれないけど
最後揉めるとか聞いていたのに
全然掃除しなくても同じ清掃費用だった気がする適当さ。
最終日に大家は居ないので同じ建物に住んでいる
お母さんに鍵を返せば良いらしい。
ビバ、うちの大家。

そしてもう頑張って掃除しなくても
この金額で良い開放感。

そうは言っても来週水曜に出るまでに
引き出しに残っている物を片付けなくてはいけないのに
すごい開放感過ぎて、もう頑張れない。

取り敢えず今後3ヶ月(お金が残ってたら)の
旅のザックリ計画も立ったので
開放されてないのに開放感過ぎて
もう頑張れない。

取り敢えず何となく考えている経路。
ブダペスト→グラナダ→コルドバ→マドリード→バルセロナ
→リヨン→コルマール→ストラスブール→ハンブルグ
→コペンハーゲン→オーデンセ→デュッセルドルフ→ルクセンブルグ
→バーゼル→ジュネーヴ(を拠点にスイスをウロウロ?)→東京

数都市は在住の友人のスケジュール次第だけど
取り敢えずバルセロナで髪の毛切るところまでは確定。
こう見ると半分は既に行ったことがあるので
面白味に欠けるのか…?と思うんだけど
行ったこと無い感じの経路にすると東寄りになってしまい
心が拒絶中(笑)。

それでもって最近あんまり新たな街に興味が無いというか
今自分に必要なのは長く落ち着ける場所なんだなと
ヒシヒシと感じている。

とは言うものの
もし日本に帰るならヨーロッパもそんなに来られないし
年齢的にもこの先3ヶ月もフラフラ出来ることって
あんまり無いのかな〜と思うと
廻っておかなくてはと言う少し義務的な気持ちも有り。

ビザとか帰国売りとか保険とか携帯とか
長期滞在と帰国の狭間(住所が無い)だと
どうなの?と言う部分についても
書いておこうと思いつつ
今は開放感過ぎて頑張れない。
と言うか未だ荷造りも掃除も大分残っているんだけど。

取り敢えず明日で職場のハンガリー人とオサラバ出来る。
と言う新たな開放感の予感を胸に
今日は取り敢えず寝よう。







Monday, 18 February 2019

ウィーンとチェロ ロス


週末最後のチェロレッスンで
自分的に絶対泣くと思ってたのに
全然実感が無さ過ぎてサラッと帰って来た今。

いつもウィーンから帰ってくる時
後部座席に乗っているはずのチェロが無くて
いつも家のダブルベットの半分を占領しているチェロも無くて
家に帰ったら真っ先に練習していたものが無いと実感した今
物凄いウィーンとチェロ ロスに襲われている。

取り敢えずウィーンで買って来た
美味しい甘栗を食べながら既に思い出に浸りながら
居ても立ってもいられなくて
ここに書いてみる。

本当は時間をかけて書いて残しておこうと思ったけど
堪らないので先にこれだけ書いてみた。
ウィーンとチェロ ロスが予想外の大きさで
予想外のタイミングに襲って来て
掃除が手に付かない。
そんなこと言ってる時間もないのに。





Thursday, 7 February 2019

売れない帰国売り


日本に帰る度に買い貯めていた
生理用品やら、薬やら、化粧品やらが大量に余ってしまい
売ろうとしているのに誰も買ってくれない。。
でも、もったいなくて処分できない。

IKEAの家具とかもあるのでサッサと片付けたいのに
全く片付かず。
引っ越しノイローゼになりそう。

と、誰かこれを読んで買い取ってくれないかしら。
と思って呟いてみるツイッターもどき。

奥さん、お安くしますよ。
ほんとに。




Thursday, 27 December 2018

退職と再びお先真っ白。




2月末で退職することにした。

本当は他国(欧州か日本)で次の仕事を決めてからか
寿出国を目指していたつもりだったけど
毎日ハンガリー人に対する嫌悪感で
全ての毛穴から火山噴火しそうになりながら家に帰ってくると
自分の気持ちが曇ってしまって
ハンガリーから出たいことに気持ちを引っ張られた
決断しかできないだろうし(仕事も寿出国も)
ハンガリーには次の人生の決断に影響を与えて欲しくない。
と思ったら、取り敢えずハンガリーから出なくては話が始まらない
ということで2月末に切れる滞在許可の延長をしないことにして
その時点で退職ということに(丁度丸4年耐えた)。

ハンガリー人と二度と働きたくない
= 他国の外人とも仕事では合わないのでは。。
というトラウマ感もあって
もう日本なのかな。という気持ちも大きいけど、
ウィーンへ行ってしまうと
ヨーロッパ(西)のゆとり感に後ろ髪引かれる気持ちもあったりする。

ハンガリー人は35歳位が共産時代に初等教育を
受けたか否かの境目らしく、
正に職場で特に問題のあった3人が30代後半と40過ぎの人だった。
と考えると
やっぱり単純に全くハンガリーが合わなかったな。と思う。

とは言え
昔日本の職場の同僚が、
元々オーストラリアの日系企業で働いていた人で
「働き方の違いの板挟みが辛過ぎてもう日本がいい」と
帰ってきた理由について語っていたのを思い出し
当時は勿体なさ過ぎて理解出来ないと思っていたのに
今は激しく同意している自分がいて、
海外の日系企業のオフィスで一緒に働く限り
今メールや電話で問題なくやり取りしている
ドイツ人やオーストリア人達とだったとしても
板挟みで辛い状況は大いにあり得るんだろう。と思う。

とは言え
ヨーロッパでビザ手配してまで
私を雇ってくれる会社があるとすれば
それは日系企業なんだろうな。と思ったり。

とは言え
そんな軋轢の渦中に再び自ら飛び込んで行くよりは
日本で外国人の役に立つような仕事をして
結果的に日本社会の役にも立っている状況の方が
精神的に健康ではないかと思ったり。

とは言え
自分が日本社会の役に立つ仕事をしようと思っていても
先月35歳になった転職だらけの私を
役立つ人間として雇ってくれるような
優しい社会だったかな、日本は。
と思い出すと、
役立てると思っているのは自分の過信だけで
また年齢と履歴書の転職歴だけで
入りたい会社には面接もしてもらえない状況に
なるだけな気もしてくる。
そんでもって東京では新しい友達とか出来なさそうな気もしてくる。

そう思うと、どちらに転がっても良さと悪さが同じ位?

と言った感じで
退職までの2ヶ月と、
退職後ビザなしでヨーロッパに居られる3ヶ月間
旅行しながら日本なのかヨーロッパなのか
(次を探すのが)暫く悶々とする日々になりそう。

35歳なのに、そんな悠長なこと言ってられるのも
ヨーロッパにいるからなのかな。と思っていたら、
チェロの先生から
「僕はどちらかと言うともう君のお父さんみたいなもんだから
(本当はもっと若い)言うけど、もう君も25歳じゃないんだから、
ちゃんと考えて決めないとダメだよ。
家族が欲しかったら急いだ方がいいよ。」
とズバッと言われた。

やっぱどっちに転がっても私はもう35歳なんだわ。
真剣に考えようっと。。









Sunday, 25 November 2018

PMSのイライラを一瞬で消したかもしれない動画。


ハンガリーに来る前、
PMSと言えば、理由もなく物凄く落ちて
根暗になって悲しくなるのが恒例だった。

ただ、悲しくなっても
あ、PMSで悲しいのか。と気づくと
大体大丈夫になっている程度の酷くない症状だった。

ハンガリーに来てから暫く経って、
ハンガリー人の働き方にウンザリし始めてから
PMSは毎月、悲しみではなく、
ハンガリー人の働き方に対する猛烈な怒り
という形でやって来るようになった。

しかもPMSじゃない時からイラっとしていることなので
PMSで怒りが倍増していると分かっても
一向に消えてくれない猛烈な怒りを抱えながら
1週間程過ごす羽目になる。

一昨日くらいから、
同じチームのハンガリー人の働き方に対する
猛烈な怒りがこみ上げて来て、
昨日の夜は明け方まで怒りで
どうにもこうにも寝付けない程だった。

今朝、よく考えてみたらPMSか。
と気づいたんだけど
そう分かっても怒りが収まらない。

今日土曜日だったので
最近気に入っているカフェで
苫米地英人の本を読みながら
負のオーラに足を引っ張られてはいかん。と、
頭がスッキリして来た感覚はあったのに、
結局家に帰って来たら
考えるのをやめようと努力しても
どうしても怒りが収まらずにいた。

怒りに身を任せながら近所迷惑な音で
チェロをギコギコ弾いてみても
怒りが頭から離れずに全く集中出来ない。

その後You Tubeでポジティブな人が喋っている
動画を見てみたけど全然集中出来ず、
なんかPMSに効く系の癒し音楽でも探してみようと
「music for pms」で検索してみたら
写真の雰囲気でクリックした動画が
音楽ではなく雑音(周波?)を永遠に流しているだけの
↓↓↓の動画だった。


何だ、雑音か。
と思って15秒くらい後に他の映像に移ろうとした瞬間
怒りがピッタリ収まった。

怒りが収まったと言うか、
さっきまであれ程考えないようにしても考えてしまっていた
ハンガリー人の働きぶりが今度は考えようとしても
頭がピッタリその記憶をほじくることを辞めてしまった感覚。
記憶が出てこないので怒りが出て来ない。みたいな。

何だこれ!!すごい!!
気のせいかもしれないけど本当に怒りが収まった。
まるで風の谷のナウシカの王蟲がピッタリ止まる瞬間さながら。

いや、でも何だこれ。
気持ち悪いくらい収まった。
気持ち悪いけど気分いい。
赤ちゃんがテレビの砂嵐で泣き止むのと同じ仕組みかしら。
母親のお腹の中の音と同類なのかしら。
私もまだまだ赤ん坊レベルってことかしら。
お見事。

とは言えたまたまかもしれないから
来月も試してみようと今から楽しみ。
と、怒りが感動と楽しみモードに切り替わった土曜日の夜。








Wednesday, 14 November 2018

気合のÖBB




この間、ÖBB(オーストリアの国鉄)を利用して旅に出たら
途中で急な修理の工事が入ったそうで
「迂回ルート + 途中で乗り換えさせられる + 2時間強の遅延」
という状況になった。

ただでさえ長旅で、お尻も頭も痛いのに
もうヘロヘロになりながら到着した後で
チケット買う時に登録してたYahooメールのアカウントに
これでもか!という位に大量の予定変更メールがÖBBから
送られていたことに気がつく。

Yahooメールの1ページ当たりの表示件数が25件で
19ページにわたりÖBBからのメールしか表示されてなかったので
475件のメールが1日に送られて来たってことだ。


だいぶ前にハンガリーのバス会社のバスで
ウィーンからブダペストに帰る時
バス停に行ったらバスが全然来なくて
Yahooメールを開けたら当日の早朝に
バス停変更のメールが1通だけ入っていて
気づかなかったことがあった。

同じくメールに気づかずバス停にいたドイツ人の男の子と
そんな直前に変更するなら電話の一本でも入れなされ、と
ブダペスト帰ったら一緒にクレームしよう!と
連絡先を交換し、励まし合ってお別れ。
(彼はハンガリー人の彼女と一緒に別のエリアへ移動して行った)

夜の19時からホテル探しをするものの
クリスマス直前の週末でどこも満室。

たまたま入ったホテルのフロントのおじさんが
笑顔はないのに、とてもプロフェッショナルな人で
頼んでもないのに近くのホテルに電話をかけまくってくれた。

「一年で一番忙しい位の週末ですから、どこも満室です、マダム」
と言われながら待つこと暫く、
近くのホテルが空いているとのこと。

「但し検索しただけのホテルですから、私も実際どんなホテルかは
分かりませんが、宜しいですか、マダム」
と聞かれ、他の選択肢は無いので予約をお願いする。

お礼を言って宿泊先のホテルへ。
到着してみると、古めで暗めのフロントから
アラブ系のおじさんが出て来た。

チェックインをする為にパスポートを見せたら
「僕は昔、日本人の彼女がいたんだ」と昔の女の話を聞かされる。

やっとこさ話が終わり、部屋に入ってみると、
一年で一番位に忙しい週末に空室があるのが納得出来る
とても簡易なお部屋。

部屋を予約してくれたフロントのおじさんが
一言コメントをしてくれた意味が分かった。

でも野宿よりは天国。と思って翌朝朝食へ行ってみると
こんな豪華な朝食見たことないぞ位に
色んな種類の朝食ビュッフェでビックリ。
スモークサーモンから、モーツァルトクーゲルまで
よくわからないけど、アラブっぽい。
部屋のショボさと朝食の豪華さのアンバランスが意味不明。
と思いながら朝食をモリモリ食べて
結局鉄道にてブダペストへ帰宅した。


そんなことを思い出しながら
気合が違うぜオーストリア国鉄。と思ったり、
チケット買う時に、携帯にアプリが入ってて着信音の出る
メールアドレスを登録しなくて心底よかったな、と思ったり。

あのプロフェッショナルなフロントのおじさんがいたホテル、
いつか御礼がてら宿泊して貢献しなくては、と思いつつ
そう言えば結局利用したことがないと
思い出された出来事だった。
泊まらねば。

助けてくれたホテル→ https://www.hotelaustria-wien.at/en/

(朝食豪華なホテルも探したけど、記憶が曖昧で見つからなかった)