Friday, 29 March 2019

パン屋の袋がイカ。



何故パン屋のバゲット用の紙袋にイカが。。?
と考えること暫く、
イカの頭部がバゲットになっていたことに
やっと気がつき、一人納得。

別にイカのパンとか売ってなかったけど、
このセンス。

そして何気に1897年開業って凄くないか!
と今気がついた。

途中方向転換した様で、
最近オープンしたみたいな白くてモダンな店だったけど。

明朝でスペインとお別れし、フランスへ。
治安と人が怖すぎるフランス。
沢山行ったことあるはずなのに
微妙に緊張中。

さらば、人懐っこいコロコロしたスペインの人々。
癒されました、ありがとう。






Thursday, 28 March 2019

お姉さんとの約束 -Casa Amatller -(写真)








































https://amatller.org/la-visita/informacion-practica/





お姉さんとの約束 -Casa Amatller -



(現在Casa Batlló外観工事中の為、Google mapより写真を拝借。
今回は左に写っている隣のお家のお話)


8年前初めてバルセロナに着いた時、
バルセロナはガウディの街だと思っていたので
街中に見られるカタルーニャのモダニズム建築や装飾を見て
ガウディがすごいから、皆が後を追って同じような様式が
街中に広がったのだと勘違いしていた。

その後色々と訪れる度に
ガウディもあくまで、大勢の中で少し変わった人だっただけで
バルセロナの街の凄みを作っているのは
その当時の風潮や文化なんだなということが少しずつ分かってきた。

特に今回、ガウディが影響を受けたグラナダのアラブ様式の建物を
多数訪問後に幾つか未だ行っていなかったガウディの建物を訪問したので
逆にアラブ文化の凄さとか、当時のバルセロナの
街の一体感に対する感心の方が大きくなった気がする。

アルハンブラに行ったことのある人であれば
Casa Vicensのタバコ部屋の天井に
あまり感動出来ないのではないかと思った。

そんな中、先日Casa Batllóの前を歩いていたら
いつもCasa Batllóと一緒に写真に写っているものの
実際何の建物か知らなかった隣の建物の前に
前は無かった様な気がする
カフェのメニュー表示が立てられているのに気づいた。

ザ・観光客向けっぽいメニューだったので
Casa Batllóの訪問者向けにカフェを作ったのかなぁ〜と素通りしていた。

その後どこかで、そのCasa Batllóの隣の建物の
訪問案内パンフレットみたいのを見かけて
あ、建物の中も入れるのか〜と思って
フラッと行ってみた。

お隣のCasa Batllóは相変わらずの長蛇の行列なのに
入ってみたら誰も並んでおらず
15分後にオーディオガイドのツアーが始まるとのことで
入場券(EUR 19)を購入。
その後1階のカフェに入ってくる人はいるものの
建物のツアーに参加する人は
フランス人老夫婦と、国籍不明の女性と
小さい男の子を連れたお母さんだけ。

外装から見るに結構内装も良さそうだけど。
と思って入ってみると、
すごく綺麗で雰囲気のある建物だった。

名前は、Casa Amatller。
チョコレート業で成功したおじさんが作らせて、住んでいた建物。
彼は早くに奥さんと離婚し、一人娘が一定の年齢に達するまでは
元奥さんと別の住居に住ませ、チョコレート業(?)を後々継ぐために
ある程度の年齢になった後は彼と共に住ませるという契約のもと
この素敵な家に一人娘と住んでいたそう。
(仕事場でもあったらしい)

その後、彼が亡くなり、一人娘が一人で暮らしていたものの
建物の素晴らしさを守る為
プライベートの財団?基金?を作り
彼女の死後、アート系の図書館として入ろうと思えば
誰でも中に入れたものの、あまり存在を知られないまま
4年前に遂にミュージアムとしてオープンさせたそう。
(現在も図書館としての機能は残っているものの、
上層階へお引越ししたので、素敵な内装部分では
本の閲覧は出来ない状況に。8年前に知ってたら。。)

ツアーの最後にフロントに預けていた荷物を取りに行ったら
「どうだった?」とガイド兼フロントのお姉さんが聞いてくれたので
「すごく良かったよ!こんなに素敵な建物なのに、お隣のガウディが
長蛇の行列で、こっちはガラガラなのが理解不能だけど。
ところで、ここはいつから一般公開してるの?
8年前は中に入れなかった気がするんだけど。。」
と聞いたところ↑↑↑の話を教えてくれた。

そのお姉さんが熱心な人で、
一人娘が公的な財団(基金?)ではなくプライベートにした理由は
フランコ体制下で沢山の歴史的建築物が味気無いビルに作り変えられていた
情勢だったので、この建物だけは守りたいという
娘さんの想いで、フランコの圧力がかかり難い様に
プライベートにした、と教えてくれた。

「本当に彼女がちゃんとした選択をしてくれたお陰で
こうして素晴らしい建物が残ったんだから、本当に良かったよ!
隣は世界のガウディだし、こっちは未だミュージアムになって
4年しか経ってなくて知名度も低いからしょうがないけど。
貴方が皆に良かったよ、と言って宣伝してくれたら
今後はもっと皆が来てくれる様になるはず!」

と熱く語っていた。

ので、「分かった、宣伝するね!」と言って
お別れをした。

ということで、お姉さんとの約束を果たし、
ガウディ以外の素晴らしい建物も皆に見てもらって
費用を回収することにより、
より長くこの建物が引き継がれていく様に、ここで宣伝。

とは言っても
私のタラタラした文章では
魅力が伝わらないと思うので、別記事で写真をアップすることに。

この建物の一階奥にはカフェとお土産店が併設されており
カフェは残念ながら安っちい感じだったけど
テラス席から隣のガウディの柵がチラ見できる感じだった。
そしてお土産店では、Amatllerのチョコレートが購入出来る。

因みにミュージアム入場券のEUR 19には
このチョコレート店のホットチョコレートと
チョコレートに浸しながら食べるトーストの券が含まれていて
ミュージアムを見た人だけ座れる
一階のホール部分の席で食べることが出来る。

ツアーは、i padによるオーディオガイドだけど
お姉さんと一緒にグループでないと中に入れず
繊細な床を守る為、靴カバーをして中に入ることになる。
ツアーは日本語は未だ無いようで、
英語、スペイン語、カタルーニャ語、フランス語くらいだった気がする。
とは言えCasa Batllóの隣なので、
地図とか調べる必要も無く、隣のガウディさんを訪問後
是非こちらも訪れて欲しいと思った次第。


https://amatller.org/la-visita/informacion-practica/










Tuesday, 26 March 2019

Billy Wilder のお家




パソコンの写真を整理していたら出てきた。
ある日ウィーンを歩いていたら、
ふと目に入った「Billy Wilder」の文字。

Billy Wilderってアメリカ人じゃなかったっけ?
と思い、映画監督の割に地味目な所に住んでいたのか?
と少し違和感があったので、気になっていた。

と、調べてみたらオーストリア人だったらしい。


日本語だと出てこないけど、英語版のウィキペディアには
ちゃんとウィーンに住んでいて、学校にも通っていたと書いてある。
初めて知った。

という話。





Tuesday, 19 March 2019

じわじわと、しかし確実に。


(感動しかしないアルハンブラの天井彫刻)

スペインの居心地が良過ぎて幸せ。
じわじわと、スペインの空気が体に染みわたって
4年間で溜まっていた毒素が確実に排出されていく感じ。
ハンガリーに居た記憶まで失いそうなほどにホコホコしている。

店員さんとか、なんて優しいの!
ウィーンの店員さんが神だと思ってたけど
スペイン人の店員さんは神の周りで楽しそうに飛んでいる
天使たちの様だわ。と未だに毎日喜びを感じている。

そしてハンガリーから来たら
スペイン人が異様に真面目な働き者に見えて
そう感じている自分に笑えたりして。

出発直前に、新生銀行の海外ATM利用サービスが
昨年秋で終了していたことに気づいた私は
この3ヶ月間、現金入手も含めて一枚のビザカードで全てを賄う必要があり
結構精神的にヒヤヒヤしていた方が良い状況な気がするんだけど
なんだかヌクヌクしてしまって危機感が出てこない。

あと一週間半でフランスなので
気を引き締めなければ。と、
異様にフランスに行くのが怖い気がしている今日この頃。

私が重い気持ちで過ごしていた4年の間も
スペインは相変わらずコロコロしてくれていたことに感謝感謝。







Monday, 4 March 2019

様々な牛たちの話。



このチーズの名前が日本でも「笑う牛」だったと
35年の人生でさっき初めて知った。

スーパーで買って来て、
ポンっと置いた時に名前が目に入って
「こんなそのまんまな名前にして販売するなんて
スペイン人ウケる!」と思った後に
日本でこのチーズの名前何だったっけと思って調べたら
普通に英語表記にカタカナ振ってあった。


しかもフランス直送って書いてあったし。
自分がいかに普段から字面の長い言葉を
視界から排除してるのか実感した。


何故かずっとアメリカのチーズだと思っていたけど
フランスだったのかぁ。と思って本家のパッケージも見てみる。

何となく英語もフランス語も、ある意味サマになっていて
この人面牛の笑顔のイヤらしさを
一番良く表しているのはスペイン語な気がするのは私だけ?

「ラ バカ ケ リエ」

「牛」が「Vaca」だから
そこが与える印象の違いが大きいのかもしれないけど
多分スペイン語のパッケージを見なければ
一生その直球な名前に気づかなかった気がする。

そして牛繋がりなのか、何なのか、
割とスペインで気に入っているヨーグルトがあって
それもさっきスーパーで買って来て
ポンっと置いた時に
たまたまひっくり返っちゃって
初めて気づいたけど裏面のバーコードが牛だった。
細やかさがツボ。


それで、乳製品と牛のパッケージの話をすると
本当は別のネタの時に書こうと思っていた
オーストリアで気に入っていたヨーグルトの話をせずには
いられない流れな気がしてくるので写真を載せておく。


オーストリアで好きだった細かい遊び心の話用に撮ったけど
今回載せたからには、
スペインのこだわり苺ヨーグルトと
オーストリアのこだわり苺ヨーグルトでは
どちらが美味しいのかという話の流れになってしまうけど
そうすると話が長くなるので
今度気が向いたら書くかもしれない。

結論だけ今言うと
普通の日本人だったらオーストリアの方が好きだと思う。

おわり。







Friday, 1 March 2019

無感情とヒマ。


(オレオにしか見えないグラナダのカテドラルの天井)



昨日の夕方、念願の脱ハンガリーだった。

そうは言っても最後は、辛かった4年間を思い出して
感慨深くこみ上げてくる感情に涙が出るものだと思っていたのに
辛いのはとっくに通り越していたからなのか
何にも感じなかった。

え、こんなに何にも感じないけど
良いのかな自分。
と思いながらも
本気で何にも感じなかった。

強いて言うならば
最後無感情のまま飛行機の外を眺めていたら
国会議事堂とドナウ川の斜め上を通過したので
家と鎖橋の景色が目に入り
「あ〜、もうあの橋渡らなくて良いんだ〜」と
口角が若干上がったって言う。

夜バルセロナで乗り換え1時間半の間に
スペインの空気感がジワジワと心の隙間にしみわたって
あ、何かが解けてゆくぞ。という感じがした。

夜グラナダに着き
未だほんのり肌寒いものの
カラッとしつつ柔らかい空気と
コロコロと耳に響くスペイン語の軽い響き。

あぁ〜、本気でハンガリー嫌いだったわ〜。
元の世界に帰って来たわ〜、私。
と、久々に肺の奥まで酸素が行き渡った感。

嫌いだったけど3年は我慢するのを目標に
最後はチェロを辞めたくないだけの理由で耐えた4年間。
何の未練も一切残さず、逆にスッキリ終わって良かったのかも。

ということで、
久々に遠くからでも香ってくる
香ばしいコーヒーの香りがする
熱々のカフェラテに感動しつつ
グラナダ初日。

既にテラスでビール気候になり始めた街を歩きながら
あれっ、3ヶ月も一人で旅行してたらヒマじゃない?
って今更思い始めた。

だからと言って早々に帰ろうとは思わないけど
折角なので有意義な3ヶ月になるように
何かしら考えないといけないな。
と思ったら割と周遊って面倒臭いので
自分に合った旅の仕方では無いんだなぁ。
と、バックパッカーの人たちを尊敬し始めた
そんな旅の始まり。